2014年10月29日

わこの西周旧居

2014.10/26、島根県津和野の西周(にしあまね)旧居を訪問しました。

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訪問先を考えるために津和野の地図を見ていて見つけたのですが、森鴎外の生家の近くにあったためか、なぜか文学者のイメージでしたが、むしろ、啓蒙思想家ですね、その他、幕臣、教育者、官僚、政治家などの面でも活躍しています
なぜ、西周の名前を覚えていたのだろうと考えていたのだけれど、経歴を見直してみると、倫理・社会を学ぶ過程で頭の片隅に残ったのだろうね、たぶん

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まぁ、幕末から明治期の偉人の一人の旧居を訪問した、ということで〜(^_^)
地図とかでは分からなかったけれど、道に面した入り口の向かいが臨時的な駐車スペースになっていて、数台なら停められるかな(何となく、訪問者は非常に少ないような気がしますけどね)

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建物等の修復記録が建物内にありました、ある程度の傷みは修復されているようです

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玄関の間です

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こちらが台所で、かまどと流しが残されています(蛇口は当然後世のものですが、流しはいつ頃のものなのでしょうね)

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台所の土間から奥を見たところ、離れの蔵が見えています

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蔵に面した座敷

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西は、蔵の中の部屋に籠もって勉強をしたそうで、雰囲気が分かるように再現されていたようです
しかし、暗くて撮りづらかった(蔵の中には踏み込めない)ので写真は撮っていないものの、裏から見るとこんな感じの蔵です


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家は岩見国津和野藩の御典医の家柄だそうですが、質素な感じに見えます、実際には、いくつも部屋があるし、蔵も庭もあるしで、それなりの家だったのかもしれませんけどね

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裏側の道路から見るとこんな感じです、太皷谷稲成神社への上がり口の道を少し走ったところです
また、川の向かいには、(血はつながっていないものの)従兄弟の息子にあたる森鴎外の生家があります


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庭から見るとこんな感じで、写真の右側に蔵があります

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雨樋の構造が面白かったです、これは、いつ頃からいつ頃まで使われていた構造なのでしょうね

事前に、森鴎外の旧宅と共に、訪問の了解をもらっています。
(昨冬のことで、役場の観光課だったか、教育委員会だったか忘れていますが)
津和野警察署には、前日、お散歩について報告してあります。
posted by あきたな at 23:47| Comment(0) | 日記
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