2009年05月17日

わこの高松城跡

5/13、JR備中高松駅近くの高松城跡に行ってきました。

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羽柴秀吉が水攻めをしたことで有名ですね。

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ねらいは、紫のアヤメ(か菖蒲かカキツバタかは不案内だが)。
ところが、下見の時よりもずいぶんと少なくなっていました。

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でも、代わりに黄色のアヤメ(同上)が咲き始めていて、
華やかさは増していました。

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アップ気味にすれば、少なくなったとはいえ、紫も鮮やかです。
だいたいイメージに近い写真は撮れたかな〜。

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袴は意図的に色を合わせてみました。

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黄色の花を使った写真も撮れました。

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ちょっと高画質モードで・・・。
ファイルサイズが大きいのが難点ですねぇ。

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高松城跡の少し南手には、史跡「ふなはし」があります。

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ところで、水攻めをしたときの羽柴秀吉が布陣した東の方向です。
岡山市の初詣でにぎわう最上稲荷の大鳥居の方向になるのですが、
なんと、水攻め当時の堤の一部が残っているとか。
わこの後ろの山の右側(南側)に続く位置になります。
秀吉が布陣した(移動した)山際から、延びているのですね。

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現地に移動しました。
最上稲荷の大鳥居を反対に東の方から見ています。
蛙が鼻築堤跡として、国指定の史跡になっているのが、
わこが指さしているこんもりと茂ったところです。
まさに、当時の堤が一部、残されているのです。

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写真では読みづらいでしょうが、史跡の案内板。
堤の上に立っています。

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同じく、史跡標。
何かがあるわけではありませんが、当時の堤です。

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堤のほとんどは、開発の下にならされてしまったわけですが、
残された堤の南側に公園があります。

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堤の基礎部分を掘って、構造を調査したようですが、
調査溝に解説をつけて保存・展示してあります。
高さ表示(高松城の高さなども記されている)を見ると、
かなり高い堤を築いたことが分かります。
レーザーやらの測量機器もなく、短期間に設計・構築したわけで
地元の人たちに洪水の様子を尋ねたりしたのでしょうが、
すごい技術ですね。
もちろん、攻めにくい沼状地の城だったわけで、
現在よりも水を一面に張った情景は想像しやすかったのかもね。

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当時の杭なんかも残っています。

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残念ながら、堤の反対側は残っていないようですが、
足守川沿いに、水の取り入れ口の遺跡標はあります。
どれが?と尋ねても、地元の人も案外知らないようですが、
歴史サイトではない(笑)ので、私もここまでにしておきます。
posted by あきたな at 20:19| Comment(4) | 日記
この記事へのコメント
こんばんは。

花の命は 短い。

袴と おんなじ色なんて ステキ!

ところで 遊歩道みたいなのがあるでしょ?

それって お稲荷さんまで 繋がってた 鉄道?の跡だったっけ?

高松駅から出てたんです。

ずっと 昔の 話しですけどね。

行くたんびに 痕跡とかないのかなって 気になってます。

Posted by かんちゃん at 2009年05月18日 20:54
今回、史跡をウロウロしているあいだに
路線跡らしきものがあることに、気がつきました。

鉄道遺産を歩く「岡山の国有鉄道」によると
中國鐵道稲荷線だそうです。
1911(明治44)に中國鐵道稲荷駅と稲荷山駅を
結んで開業して、営業成績はよかったそうです。
吉備線とゲージが違う762mmの軽便鉄道で、
当初は乗り入れができなかったんだって。
第二次世界大戦の鉄材供出命令により、
線路は撤去され、戦後に復帰されないまま
廃止となりました・・・。

さらに、中國稲荷山鋼索鐵道が山下〜奥の院にあり、
ケーブルカーが走っていました。
奥の院に通じる延喜乃石段付近に、
急な階段と平行に走る軌道跡があるそうです。
奥の院駅は、奥の院から約450m下がったところにある
コンクリート造りのラジオ塔跡の横にあるそうです。
廃墟のような感じで、痕跡は残っているみたい。

ちょ〜っと、見てみたくなりますね。
Posted by あきたな at 2009年05月18日 23:08
こんばんは。

さすが あきたなさん わかってたんですね!

それから 詳しい説明 ありがとうございました。

跡を たどってみたいですよね!
Posted by かんちゃん at 2009年05月19日 22:53
説明は、自分用のメモ、という感じですね。
ケーブルカーの跡は、見てみたいですね。
Posted by あきたな at 2009年05月19日 23:58
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