2007年03月23日

re:着ぐるみに求められるもの

昨夜、着ぐるみ系のチャットをしました。

「期待されていない場所に、異質な存在である着ぐるみが出るべきではない」

というテーマで、やりとりをさせていただきました。

私は、わこ・りこで、この「出るべきでない場所に出て」います。
そのことへの苦言として、真正面から意見をぶつけてもらいました。

内緒でのやりとりにしなかったのは、一般的な他の人にも関係があり、
また、真剣に議論しようという意志の現れでもあります。
少なくとも、私はそう考えて、辛い返信をしなければならない場面でも、
一生懸命考えて、意見を投げていました。
こういう場面があることは、とてもありがたいことです。

ただし、内容については、言われていることはほぼ理解できていると思うし、
基本的にその考え方が間違ってはいないとも考えているものの、
「今後、その内容の通りに行動します」とは告げられませんでした。

なぜならば、
自分の着ぐるみ活動を実質的に否定、あるいは放棄することだからです。
そもそも、
期待されていない、嫌悪される、出るべきでない、・・・などの状況は
ほとんどの場面に当てはまるものと、ごく一部の場面だけのものとで
違ってくるのは当たり前です。
ひとまとめにしたテーマでは、受けこたえにも限界があるはずです。


間違っていることを、自分勝手に続けようとは思いませんが、
私は、基本にあると思われる点について、似たような問題意識をもって、
自分なりに状況を改善することを目指して現在の活動を続けています。
うまくことが運ぶこともあれば、失敗したと思うこともあります。
完璧にできていないことは明らかですが、改善を意識している以上、
より効率的で好ましい解決方法だと納得できないのに、
自分を気軽に捨てることなどできません。
(逆に、納得できたら、あっさり行動を変えることもあるわけです)
(あるいは、着ぐるみに愛着を感じなくなったら・・・)

喧嘩腰で話をしていたわけではないのですが、
概ね共通理解を図りながらも、一つの結論にたどりつかなかったのは、
「○○を避けるべきだ」という命題に対して、
「該当する行動は一切しない・させない」という方法を選ぶのか、
「問題を回避できるようにする」という方法を選ぶのか、
という発想の違いではないかと思います。

私が、すべての行動をただちに放棄することができないのは、
私が放棄したとしても、本質的な問題が解決できないからです。
放棄すれば、私が問題を起こすことがなくなるだけの話で、
自己中心的な他の人間の起こす問題を止められるわけではありません。
その人の問題はどのように解決するのでしょうか。自主性?強制?
その矛盾というか不完全さに対して、素直に、まず自分から・・・とは
思い切ることができないのだと思います。
直接的ではないにせよ、自分のことだけでなく、周り全体の状況をも
好ましい方向に変える(地方なのでつくるに近いかもしれません)ことを
目指す方が、全体として有効だと思うのです。

苦言を投げてくれた人のことではないのですが、
いくつかのサイトの情報などで見えてくる(直接見たわけではない)状況を
必ずしも好ましいものだとは、私には思えません。
でも、それが間違いで排除すべきだとは、私には言えませんし、
単に好みの問題として受け止めるようにしています。
もちろん、いいなぁ、と思うこともたくさんあります。
そして、気になることについて、よりよいとは言い切れませんが、
こういう方法もあるのではないか、と実践で提案しているつもりです。

・・・だから、自分のことも認めてよ、とは言えないわけですが、
問題点を自分なりにでも意識して、改善しようとしている中で、
徐々にでも進展していると思える間は、できるなら、
チャンスを残してほしいという願いがあります。


先達の努力とその成果は、高く評価されるでしょう。
さらに高次の世界に到達することも大いに期待できるでしょう。
私は、知識・技術など様々な限界から、同じ目標はもてません。
逆に、自分の持ち味として、入門者・初心者に目が向きます。

新規の(ときにはずいぶん劣る)同好の者をどう考えるのかは、
人それぞれで違っていることでしょう。
私は、排除するべき存在ではないと思っています。
私は、問題があれば、道を示したり、導いたりすればいいと思っています。
様々な活動を行う際に、私は力不足なことが多いのですが、
だからといって、何もできないわけではないと思っています。
自分にできることを、前向きに考えて取り組めばいいと思います。
間違っている場面では、気づいた人が示唆してくれれば助かります。


着ぐるみに求められるもの・・・これは、様々です。無数でしょう。

求められてはいないが、着ぐるみの存在自体は許される場面・・・
こういう状況は大切に守る努力が必要だと思います。

着ぐるみなどがいてはいけない状況・・・踏み込まないようにします。

着ぐるみがいてはいけない場所として観光地を考えるのかどうかは、
個々の状況にもよるかと思います。
観光地ではありませんが、着ぐるみが許可されているイベント
会場であっても、不適切な場面は・・・あるのではないかと
あまり、経験のない私ではありますが、心配しています。


着ぐるみは、異質な存在だと思います。
でも、問題は、合わさって表面化しやすい別の次元のことがらであって、
着ぐるみ自体が問題なのではないのかもしれません。

極端ですが、
自分のとなりに知らない人が立っていることには、
何の違和感も非日常性もありません。 ごく自然なことのはずです。
では、その人が突然、自分に殴りかかってきたら?
これは、普通に起こってほしくはありませんよね。 非日常的です。
人がそばに立っていることが非日常ではないはずで、
人というものに問題があるのではなく、その人の行動とか価値観とか
様々な個性が、一般に受け入れられるかそうでないかで
違ってくると考える方が自然だと思います。

着ぐるみは異質ではあるものの、
操演者(私は、操演者を含めて、その着ぐるみの個性と捉えているので)
次第で、すてきな友達にも、排除すべき存在にもなります。
ひとまとめに考えることは乱暴でしょう。
かといって、制限なしに各自が勝手に扱うこともトラブルの元です。
各自がきちんと節度をもっていれば、それほど大きな問題は
生じないのではないかと思います。
現状で、当たり前の節度が備わっていない人(操演者に限らない)が
増えてきているように思える状況が問題なのかもしれません。

各個人のことに踏み込みにくいから、「着ぐるみ」でひとまとめにして
隔離しておく方が安全である・・・この考え方自体は理解できます。
完全に隔離できるなら、確かに問題は激減するかもしれません。
ただ、それだけで、解決したと言えるのかというと、
見解の相違がかなりあるのではないかと思うわけです。

本質的な問題を少しでも改善する方策をあきらめないで模索する。
手に余るこの考え方に挫折しない限り、
大きく方向転換することは、私には難しいのかもしれません。
そして、挫折したときには、着ぐるみへの愛着を失うのでしょうね。


このテーマは、大切なので、
自分でも、まだまだ考えていかなければなりません。
私には、着ぐるみ活動の根本に直結していることですからね。
posted by あきたな at 23:53| Comment(0) | 日記
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